あの時死んでいたらよかったのにな。

 アミダ様はなぜ私達全員に悪人意識絶対一生を忘れるなという「唯除」の但し書きを残し、しかも残存煩悩を許すような残酷なことを根本的な救済としたのだろうかと考えた。

 我々ら煩悩が燃え尽きるまで、憎しみや偏った愛情の炎が燃えている中でお念仏と信心の堅固さを自ら得心し、本願の心を喧伝せよと言わんばかりではなかろうか。

 電光朝露の一生と五劫の修行は比べようもないが有難いながらも辛い願いではなかろうか。

 救われながら文句を言う筋合いはどこにもないが、あの時スッキリ、きっぱりとまるごとお浄土へ来迎させてもらったってよかったものを。

 お釈迦様が縁起の道理を覚った時に、この真理の道理は理解しがたいからこのまま涅槃に入ろうと思っていたところ、梵天勧請によって巷間に流布することになりました。それで真実の教えが私にまで届いています。

 ブッタは大きな人間であっても、小さな人間にも出来ることがあるとすれば困難な人生の中で弱い人間はそれなりにそれなりのことが出来れば、やがて「唯除」の籠から解放されるときがやがて来るのだろうと信じています。なんまんだ。

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