永遠になった母さん

 
 故正親含英師が母親には戸籍・現身・言葉になった母親の三つの姿があり、特に言葉になった母親には全ての愛情が籠っていると。

 子供から「お母さん」と呼ばれることで母親は子供から逆に信頼を得て母親に育ち、子供はその喜ぶ姿を見て立派な大人になっていくのかもしれません。母親が死んでも「お母さん」と呼ばれるところに現実の母親から永遠の母親に変わっていくのかもしれません。

 同じではないけれど、アミダさんの戸籍は真如の世界に安住しておられる姿だが、苦悩の衆生を救うために仏像や絵像や文字になってこの世に現れてくるようになった。

 母親の姿が見えなくなっても母親の言葉を呼べばあたかもそこにいるように。

 我々もアミダを言葉の仏になった仏そのものと思い、その言葉に仏の愛情が、救いの心が全て籠っていると信じて声に出たところに、我々の苦悩からの安心が生まれ、救いもそこに完成してくるのであろう。

 念仏も最初から私たちの口から出る言葉仏としてできていて、仏の心を聞いて信じたところに仏も救いを完成した姿として我々の前に言葉として表現してくるのであろう。
   
 口から出る仏を仏と信じ、私の口から出ている声として生きて働く仏と対面している私を自覚しさえすれば、そこですでに仏も我々も共に救われているのであろう。

 念仏申すことは、この世で正しい人間になることが出来るようになっている機構空間組織なのかもしれないし、本願念仏とは全ての人間にとって欠かせない心を安定化する根源的な必須アイテムかもしれません。  
 なんまんだ

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