平凡な仏になる

浄土真宗はブッダと同じ立派な仏になるという平凡で自然な人間に成る道です。それまでブッダを偉大なる非凡人と言うならば、われらは偉大なる平凡人です。

しかしそれでよいという世界がみんなに開かれていると思うのです。偉大なブッダにならなくても、平凡な仏になれれば真理に生きる同じ心となるのです。

平凡とは非凡な道を歩んだものが得られる道ですが、それをあみだ仏が法蔵菩薩の段階で完成して、それを本願念仏として与えてみな仏にするとすでに我らに非凡な仏になる道をすでに開いて言葉の仏となって与えて下さっておられるのです。

 これで我ら平凡の者がみな非凡な仏になれる道が出来たのです。ひょっとしたら親鸞聖人は偉大なる平凡人の誕生をただの凡夫と昔から名乗っていたのかもしれません。

この道はすでに非凡な道を歩んでいたアミダの本願の名号を命として一人一人が歩む人間成仏への道でもあります。この道こそが、なんの取り柄もない平凡人にとって唯一の、いつでもどこでも誰でもが人間成就という非凡なる仏への感性が可能になる道になるという事です。
なんまんだ

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