聴聞できないなんて

 阿弥陀さんは私を救うときに、私の愚痴を何でも聞いてくれた。私に心をすべて開け放ち自由な心でなんでも受け入れ聞いてくれた。
だから私はそれを本当に信じることができたので私も阿弥陀様のいう事を本当に聞くことができたのだ。
 阿弥陀さんはいつでも、いつでも私のいう事を聞いてくれているのに、私の方の本当に自由になる心の準備ができていなかっただけなのだ。これは、誰に対しても、いつでもどこでもそうなのだ。
 本当の聴聞なんて、本当はアミダ様だけにできる専売特許なんじゃないかと思う。

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